日本人F1ドライバー45年の歴史(簡略版)

どうもおはこんばんちわ、鏡です。

 

今回は前回に引き続き、日本人F1ドライバーにまつわるムダ知識を紹介…、するつもりでしてが、日本人F1走行の歴史みたいな内容になってしまいました。

 

わかりやすい表付きで、お買い得ですよ!(?)

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◆45年で9人のフル参戦ドライバーを輩出

 

日本人のF1参戦の歴史は「世界選手権」としては1975年、マキという純日本コンストラクターがオランダGPとイギリスGP鮒子田寛がエントリー(両方とも予選落ち)してから今年で45年の時が立ちました。

 

その間にF1マシンをレースや予選、公式テストやチームのテストといった目的でサーキット走行した日本人は32人。

 

そこからレースへエントリーしたことのあるドライバーに絞ると20人(ここでは予選や予備予選まで走行したこととします)。

 

さらにフル参戦したことのあるドライバーとなると9人となります。

 

以下、表に主要データをまとめてみました。

 

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歴代日本人F1走行経験ドライバー

※「使用車体」と表記したのは、F1インジャパンの時は他チームから車を購入出来た為こちらではあえてこのように記載しました。この辺の歴史が絡むと表記が難しいです(後段でもこの箇所で表記の仕方に揺らぎがあります)

 

◆日本人F1ドライバーの歴史を見てみよう

 

さて、日本人でF1マシンの走行経験に関わる数が出たところで、一度それを以下のような表にしてみましょう。

 

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歴代日本人F1走行経験ドライバー_その2

 

これでどの時代に、誰が、どのような走行機会でF1をドライブしたかが少し見やすくなったかな、と思います。

 

高橋敬武の非選手権参戦とF1インジャパン 

 

74~77年は、高原敬武が非選手権に参戦を開始してからF1インジャパンの時代。この時代はF1の車を購入し参戦することも可能だったので、ティレルやサーティースといった車を購入すれば参戦出来ました。 

 

さらにコジマやマキといったコンストラクターも積極的にF1へ挑戦していた時代でもあります。

 

しかし、77年を最後にF1へ挑戦する日本人はパタリといなくなってしまいます。

 

それから5年後の82年にようやく中嶋悟がF2レースの一つ「JPSトロフィー」の優勝の副賞として当時JPSがスポンサーをしていたロータス(91T)に搭乗し、84年からはホンダのテストドライバーとして当時ホンダエンジンを供給していたウィリアムズをドライブをするに至りました。

 

中嶋悟のデビューとバブルによる日本のF1進出

 

1987年。ついに中嶋悟ロータスでフル参戦をします。F1インジャパンから10年の月日が経ち、ようやくF1の決勝レースという舞台に日本人が復帰しました。

 

そこからは1999年までは誰か1人はF1のグリッドにいる時代となります。さらに言うなら、年間2人はF1ドライブの機会があった時代でもありました。

 

中嶋悟の後に続くように、鈴木亜久里片山右京がフル参戦デビュー。さらに若手ドライバーが欧州へ挑戦していきました。

 

その後ろ盾にはホンダはもちろん、バブル期で好調だった多くの日本企業が彼らの挑戦を支えていました。

 

90年代初頭にはバブルは崩壊するものの、フル参戦のパイオニアである中嶋悟の教え子とも言える高木虎之介中野信治がF1に飛び出していきました。

 

ですが、2000年に日本人のいない時代が再び訪れます。

 

ホンダ・トヨタの育成が実った時代へ

 

しかしこの時は、2000年に佐藤琢磨がF1テストドライブの機会を得ており、F1への光が見えていました。実際に02年にジョーダンからF1デビューを果たし、再び1人はグリッドに日本人という時代になります。

 

とはいえ、03年は日本GPのみのスポット(佐藤琢磨)というシーズンフルではない年もありましたが。

 

その後は、トヨタのF1参戦によりトヨタエンジンの供給を受けることになったウィリアムズに中嶋一貴が、トヨタからはチャンピオンをものともしない走りでデビューを飾った小林可夢偉が登場します。

 

この時代はホンダとトヨタが育成にも力を入れ、特にこの3人が日本人として時代を担っていきました。

 

日本系チームの撤退により遠くなったF1への道

 

しかし、小林可夢偉がデビューする前年にスーパーアグリが途中撤退、ホンダもチーム売却。

 

小林可夢偉が鮮烈なデビューを飾ったトヨタも撤退し、最大3チームが参戦していた日本系チームが消滅します。

 

小林可夢偉は実力でザウバーのシートに辿り着き、表彰台を獲得する等活躍をしますが、1年の浪人の後移籍したケータハムが撤退した2015年を最後にF1を去り、以降5年の間日本人F1ドライバーは決勝レースの舞台から姿を消すことになります。

 

その5年の内にテスト走行やフリー走行に参加したドライバーも松下信治山本尚貴の2名のみ。気付けば日本GPを開催しているのに日本人とF1は遠いものとなってしまいました。

 

◆日本人を一番多く乗せたチームは?

 

歴史をかいつまんだところで、日本人を一番多く乗せたチーム(または車体)とエンジンはどこなのか、ザックリまとめてみました。

 

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ランキング

※番外:F1インジャパンで購入した車はランキングの対象から外しました。

 

チーム別でいうと1位はジョーダン(今のレーシングポイント)で、7人。

 

ヤマハエンジンを搭載することが決まった1992年、前年型の191にヤマハエンジンを搭載したテストに黒澤琢弥を起用して以降

アーバインの代打で1994年のパシフィックGPに鈴木亜久里

・98年に脇阪寿一がテストに参加

・99年には中野信治がテストドライバーとして契約

・00~02年は佐藤琢磨がチームに加入

・03年は本山哲が日本GPのフリー走行

・05年には山本左近が日本GPのフリー走行に参加。

 

と、定期的に日本人を起用することが多かったです。

 

2位は同率で3チーム。それぞれ4名の日本人を搭乗させています。

 

ローラ/ラルース(鈴木亜久里/片山右京/鈴木利夫/野田英樹

トヨタ高木虎之介/平中克幸/平手晃平/小林可夢偉

B.A.R/ホンダ(福田良/松浦孝亮/佐藤琢磨/小暮卓史

 

※ローラ/ラルース(正確にはヴェンチュリも)やB.A.R/ホンダは同一のチームとみなしています。

 

以下、5位として3名乗せたチーム。その中にウィリアムズの名前があるのは少し意外ですね。中嶋一貴が加入していたことが記憶に新しいですが、ホンダエンジンと契約していた時代に父の中嶋悟や、その永遠のライバル星野一義がテスト走行してるんですね。

 

◆日本人を一番多く乗せたエンジンは?

 

では、エンジン単位で見ていくとどうなるのか?というのは画像の右側です。

 

1位はみんな大好き(?)フォードで16人が走行しています。

 

F1インジャパン時代の車にも多く使用され、バブル期に日本人が走行した車にも多く使用されていたので他を引き離す数で上位にいます。

 

2位はホンダで9人、3位はトヨタで5人です。

 

この辺はさすがに日本メーカーと日本人の強いつながりを感じますね。

※一応ホンダと無限ホンダは区別してカウントしております。

 

4位は4人で意外にもフェラーリの名前が。

 

これはスパイカーフェラーリ山本左近が、ザウバーフェラーリ小林可夢偉/佐藤公哉/松下信治が走行経験を持っています。

 

◆終わりに ~日本人とチームの巡りあわせ~

 

さて、かなりザックリ日本人のF1ドライブの歴史と乗ってきたチームやエンジンについて書いてみましたが、日本人が勝てない理由とは何なのでしょうね。

 

私はこれを見て、やはり「勝てるチームに乗れてない」というありがちな回答を改めて感じました。

 

チーム別ランキングを見ると、チャンピオンになったチームで日本人がかかわりのあるチームはウィリアムズのみ。やはり、勝てるチームに乗れるようにしなければ勝てないということなのでしょうか。

 

今、日本人不在の空白の時代ですが、次現れる日本人は是非ともタイトル争いのできるチームに加入し、初優勝の夢を叶えてほしいですね!

 

P.S 表を作り直したりしたらめちゃくちゃ時間がかかってしまった…。ミスは目をつぶってくだちぃ…。

 

≪終劇!≫

 

≪参考文献≫
F1速報PLUS vol.14 F1熱狂時代2(三栄書房/2010)

他レーシングオン各号やウィキペディアなど