2021年Twitterで呟いた小ネタまとめ

少し更新がご無沙汰になっていたので、今回はTwitterで呟いたモタスポ小ネタのまとめとその補足情報なんかを。

 

まぁ、基本的にはASB電子雑誌書店の「本日無料の1冊」に掲載される過去の雑誌記事の話がメインです。

 

1. 過去の筑波サーキット拡張計画(投稿2021/1/4)

 

 

1987年~、筑波サーキットの拡張計画があったという記事。

 

当初計画では現在の本コースバックストレート途中から、隣にあるTC1000やジムカーナ場の敷地を広く使い、再び本コースバックストレートに戻ることが出来る全長3.5kmのコースを計画していた。

 

だが、地権者の反対にあい計画を変更。結果的に新コースは敷地を縮小したうえでTC1000とジムカーナ場となり、本コースとは繋げない形となった。

 

2. JGTC GT500へ参戦計画があった車たち(投稿2021/2/8.12)

 

 

 

1995年にル・マン24時間耐久レースを勝利したマクラーレンF1 GTRをGT界の名門チームだったタイサンがJGTCに投入する計画があったという記事。

 

結果的に「既存GTカーとあまりにパフォーマンスが違う」ので自粛としてタイサンはF1 GTRでの参戦を見送ったが、96年にその言葉が現実のものとなってしまう。

 

MR2は300クラスでは2度のタイトルを獲得しているが、1997年にGT500クラスへの参戦計画が存在していた。

 

計画をしていたのは当時ポルシェで300クラスに挑戦していたコブラレーシングで、MR2を2台、ランドクルーザー用のNA3.4lエンジンを尾川自動車でチューン、最高400psで車重は1050kg設定で投入を計画していた。

 

3. F1で日本人が5人グリッドに揃っていたかもしれない話(投稿2021/7/22)

 

 

1995年、F1には3人の日本人ドライバーが参戦していた。

 

ティレルから片山右京、フットワークから井上隆智穂、リジェからは6戦のみとなってしまったが鈴木亜久里の3名だ。

 

しかし、パシフィックGPに向けてさらに2人の日本人が参戦に向けてチームと契約を結んでいた。

 

フォルティから野田英樹、パシフィックから山本勝巳である。

 

結果的にFIAスーパーライセンスの発給を許可せず幻に終わったが、仮に現実となっていた場合、日本人が5人グリッドにつくという今現在まで起こりえない状態になるはずだった。

 

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1995年パシフィックGPの決勝結果を加工したもの。もしかしたらこうなっていたかも(出典元はwiki

 

4. 参戦期間の内半分を日本製エンジンと共にした「ジョーダン・グランプリ」(投稿2021/8/12)

 

 

ふと、調べたら「ジョーダン・グランプリ」ってF1での14年間の活動期間の内7年もの間日本製エンジンと仕事してるんですよね。

 

そして、フル参戦を達成している日本のすべてのエンジンメーカーと手を組んでいるという。

 

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というわけで、いくつか小ネタをまとめておきました。

 

次投稿するネタは考え中です。