コミックマーケット103に関してのお知らせ

だいぶんお久しぶりです。

 

さて、早速ですが只今開催中のコミックマーケット103に、この夏に頒布致しました同人誌を置かせて頂くことになりました。

 

場所は鉄道島の東ウ18aで、サークルは「27MCB」様となります。

 

こちらでお手伝いさせていただきますので、夏に来られなかった方がいましたらどうぞ足を運んでいただければと思います。

 

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【F1】総得点の多い”非優勝”者 Ver.2023

コミケぶりのお久しぶりです。

この場でも改めて、ご来場された皆様ありがとうございました。

 

さて、過去のF1速報だとかオートスポーツの記事などをふと見ているときに、2004年の記事だったかと思いますがこういった内容を見つけまして。

 

「総得点の多い”非優勝”者データ」

 

当時はB・A・Rホンダが躍進し、ジェンソン・バトンが優勝こそないものの表彰台を量産。気が付けば「未勝利最多得点」ドライバーとなっていました。

 

そんなバトンも2006年には初勝利、2009年にはチャンピオンも獲り、晴れてこのランキングから卒業したのですが。

 

それを2023年にやったらどうなるか、という内容です。

 

早速ですが、TOP17(中途半端ですみません)はこちら

 

F1未勝利最多得点ドライバーランキング

このランキング、まずはポイント制度が何度か変更されているので、最近のドライバーが上位を占めやすい傾向にあることは否めない。若干不平等なところがあるのはご容赦いただきたい。

 

※ちなみに現役ドライバーについては2023年第12戦までのデータとなります。

 

さて、第1位に輝いた(?)のは、今季ハースから復帰を果たしたニコ・ヒュルケンベルグ

 

530点を稼いでいるのだが何がすごいって、他の面々が表彰台獲得経験はあるが勝ちきれずに……、という一方、表彰台にも届いていないのだ。

 

出走回数も現状未勝利ドライバー中2位の195回出走で、来季のシートを獲得できればアンドレア・デ・チェザリスの208回出走を上回ることも可能だ。

 

第2位にはランド・ノリスがつけている。2021年ロシアGPでは雨に翻弄されるまで初優勝が見えていたが、気付けば488点獲得し、ヒュルケンベルグを猛追している状況。

 

第3位にはロマン・グロージャンが入り391点。ロータス在籍時に表彰台を多く獲得しつつも勝ちきれなかった印象が強く、2004年のジェンソン・バトンのようでもあります。

 

第4位にはランス・ストロールが341点で入ります。第5位にはなんと、新ポイント規定(1-10位まで入賞)以前のニック・ハイドフェルドが259点で入ります。

 

ちなみに、ハイドフェルドが主に得点していた時代(1-8位まで入賞)以前の、6位まで入賞の時代の最多得点ドライバーは第12位のマーティン・ブランドルで98点。

 

日本人の最多は小林可夢偉の125点(第9位)となっています。

 

……ニコ・ヒュルケンベルグのこの記録はすごいですが、追い上げるノリスも果たしてどうなるか。いや、勝ち上がってこの記録から卒業してもらったほうがいいと思う気もするのです。

【お知らせ】コミケ102に出展させていただきます

お久しぶりのお知らせです。

 

明日、8/13(日)に東京ビッグサイトで開催されます、コミックマーケット102(C102)の2日目に参加させていただきます。

 

場所は東ホールのX-07bとなります。

 

 

内容は、Formula EをF1全史風にまとめた(だいぶ情報量薄めですが…)本と、JGTC/SUPER GTの優勝チーム遍歴や参戦遍歴を大まかにまとめたものです。

 

…まぁ、ブログで掲載したものを多少ブラッシュアップした感じのものとなります。

 

Formula EについてはキリのいいSeason8最終戦、100戦目まで。JGTC/SUPER GTは2022年末までの内容となります。

 

ご来場される方はよければついでにお立ち寄りくださいませ。

【F1】レッドブル通算100勝達成にちなんで、100勝達成チームの優勝推移とかを見てみよう

2023年6月。カナダGPでレッドブルのM.フェルスタッペンが勝利して、レッドブルコンストラクターとして通算100勝を達成しました。

2005年参戦以来355戦、約18年での達成です。

さて、このコンストラクターとして100勝達成というのはこれまで4チームしか達成していないのはご存じでしょうか?

F1の歴史で長きにわたり3強として君臨したフェラーリマクラーレン、ウィリアムズ。そして、直近10年でトップチームに躍進したメルセデスです。

今回はこれら5チームの100勝達成に至る推移などを書き連ねていこうかと思います。

1. 100勝到達順で見てみる

50勝以上達成コンストラクター勝利数推移

上にあるのは前述5チームと、かつて栄華を誇り1番に通算50勝を達成したロータスの優勝回数推移をグラフ化したものです。(ロータスは100勝達成ではないので今回は割愛します)

F1の歴史はフェラーリの歴史、ともいえるようにGP開始当初から存在するフェラーリが真っ先に勝利を挙げ、1970年代に後発のロータスと争いながら1974年にロータスから約1年遅れで50勝に到達します。

その後、低迷期を挟みつつも1990年にアラン・プロストによって100勝目を達成します。

参戦・初勝利順で言うと2番目にメルセデスが1954年に参戦を開始。初戦にファン・マヌエル・ファンジオが勝利を挙げるも、最初期の参戦はル・マンで大事故を起こした影響から1955年までのわずか2年で撤退。

その後、エンジンサプライヤーとしての期間を経て2009年に55年ぶりの復活。2012年に復活後初勝利を収めると、2014年から急伸。あっという間に2016年には50勝を達成。さらにその3年後には100勝に到達します。

参戦開始順では3番目のマクラーレンは1966年から参戦を開始し、初勝利は1968年、チーム創設者ブルース・マクラーレンによるものでした。

その後70年代後半に長い未勝利のトンネルに入るも81年に復活。86年にはアラン・プロストにより50勝に到達。その後、マクラーレン・ホンダの黄金時代に入り急激に勝利数を伸ばし、1993年にアイルトン・セナにより100勝を達成しました。

ウィリアムズは1975年に参戦を開始。一時期の休止を挟みクレイ・レガツォーニが1979年にチームに初勝利を捧げると、80年代後半に躍進をはじめ1991年にリカルド・パトレーゼにより50勝を達成。この頃ウィリアムズ・ルノーの黄金タッグが誕生したこともあり、急激に勝利数を伸ばしルノーとの黄金期の最終年である1997年に、ジャック・ヴィルヌーヴにより100勝目にたどり着きました。

レッドブルは前述のとおり2005年にジャガーを引き継ぎ参戦を開始。2009年にセバスチャン・ベッテルにより50勝に、そして2023年にマックス・フェルスタッペンの手で100勝を達成しました。

2. 初勝利、50勝、100勝達成をGP数順で見てみる

※注意:参戦GP数については若干の誤差がありますので、おおよその認識で見てもらえると助かります。申し訳ないです。

初勝利、50勝、100勝達成時期

次に、達成に要したGP数順で見てみましょう。

初勝利は断トツでメルセデス。次点のフェラーリで10戦目と黎明期参戦組が強いです。

50勝達成に要したGP数で見てみるとこちらもメルセデスが一つ抜けており133戦目で達成。次点にレッドブルが177戦で達成と2000年代躍進組が上位につけます。

100戦達成でもメルセデスが207戦で達成と、参戦レースのほぼ50%で勝利をし、100勝達成しているという驚異的な結果となりました。

次点はマクラーレンで282戦で達成。35%の勝率でした。

3. 勝利者内訳を見てみる

フェラーリ内訳

マクラーレン内訳

メルセデス内訳

ウィリアムズ内訳

レッドブル内訳

最後に、100勝達成時点での勝利ドライバーの内訳をみてみましょう。

フェラーリで100勝までの間に最多勝を挙げているのがニキ・ラウダです。
ですが、全体的に極端な偏りはなく多くのドライバーにより100勝を達成したことがわかります。

実際、計28名が100勝に関わっています。


対照的にメルセデスは100勝のうち62勝をハミルトンが挙げており、100勝に関わったドライバーも5人と一人の力がずば抜けています。

マクラーレン、ウィリアムズ、レッドブルは特に2人がずば抜けて勝利していたことがわかります。

マクラーレンはセナとプロスト、ウィリアムズはマンセルとヒルレッドブルはフェルスタッペンとベッテルというような感じです。

このグラフから、フェラーリは時間をかけてこつこつ勝ってきたこと、メルセデスはハミルトンの時代に圧倒的な強さを誇っていたこと、他3チームは少なくとも2つの黄金期があったことが推測されますね。


おわりに

というわけで、そういえば以前100勝達成チームのデータ作ってみるかな、と作ったものがあったのでレッドブル100勝に合わせて表やグラフに落として見てみました。

メルセデスの強さを理解してはいましたがまさか勝率ほぼ50%、それもハミルトンがほぼ稼いでるというのは驚きましたね。

そしてフェラーリミハエル・シューマッハ黄金期が印象も実績も強いですが、長い時間を通して地道に勝っている(もちろん低迷期はありますが)というのもわかりました。

今年はレッドブルが大躍進でここまで全勝ペースですがどこまでいけるのでしょうか?メルセデスのように100勝達成まで3年でひとっとび、…なんてうまくはいかないかもですが勝ち星を増やせるといいですね。

ウィリアムズにもそろそろ光が差すといいのですが…。

【F1】日本人参戦開始以降の歴代優勝者の初優勝時の所属チームをまとめてみた

今回はRacing onが「F1サムライ列伝」と称し、日本人F1ドライバーが最も優勝に近づいた瞬間と挑戦の歴史をまとめた内容ということで


その中で「なぜ日本人はF1で勝てないのか」という疑問を紐解く一つの手段として


「日本人参戦開始以降の歴代優勝者の初優勝時の所属チームが何処だったのか」


をまとめてみた。

◆1位は90年代に栄華を誇ったあのチーム



さっそく、日本人フル参戦開始以降(1987~)の初優勝者のリストを見てもらおう。


複数名の初優勝者を生んだチームについては色をチームカラーにしているが
わかりやすく、初優勝者人数とチームだけのリストにすると以下のようになる。

 

1987年~2022年までで初優勝を挙げたのは計36人。そのうちの8人が初優勝時に所属していたのがウィリアムズだ。


後のチャンピオンドライバーであるヒルヴィルヌーヴをはじめ、タイトル争いの常連に名を連ねるようなドライバーが多数このチームで初勝利を挙げた。


ドライバーの傾向として半数がF1デビューチームがウィリアムズであることが言える。


フェラーリと並ぶ意外な初優勝者の量産チーム「ルノー


2位につけるのがフェラーリのとルノーの6名である。


まずフェラーリについてだが、87年以降の初優勝はジャン・アレジ


以後すこし間を挟んでアーバインバリチェロなど、比較的中堅チームで好走を見せたドライバーがフェラーリに移籍して初優勝するというパターンが多いようだ。


例外は初の育成からフェラーリ育ちのルクレールだろう。


ルノーについては、正確にはベネトンや現アルピーヌといった実質同チームといった系譜もすべて合算させてもらっている。


しかしながら、このチームも侮れない。近年はアルピーヌでオコンが初勝利を収めるまで空白期間があったものの


90年代前半はミハエル・シューマッハを含む3人、2000年代前半はアロンソトゥルーリと定期的に複数人の初優勝者を輩出している。


◆現代2強は初優勝者が少な目?


3位にはマクラーレンで4名。秘蔵っ子と呼ばれたハミルトンの初優勝チームではあるが、

それ以上に3名のフライングフィンがマクラーレンで初優勝を達成しているのは面白い。


4位にレッドブルで3名、5位にメルセデスAMGとアルファタウリ(トロロッソ時代含む)となっており、ここ10年でタイトルを獲得した2チームは初優勝者はそれほど多くないようだ。


最後に1名でリジェ、ジョーダン、ホンダ、BMWザウバー、レーシングポイントと今現在は存在しないチーム名が並ぶ。

 


◆日本人が勝てない理由の一つは「優勝出来るチームに日本人が行けないから」


ここまで見て、これらのチームに日本人が所属していたことがあったかどうか振返ってみたい。


するとウィリアムズ:1名(中嶋一貴)、アルファタウリ:1名(角田裕毅)、ジョーダン:1名(佐藤琢磨)、リジェ:1名(鈴木亜久里)の4名しかおらず、


その多くが1名しか初優勝者を輩出していないチームであり、最多のウィリアムズに所属した中嶋一貴については、後にメルセデスで優勝するロズベルグも勝つことのできなかった時期に乗っていることから、優勝するほどの戦闘力が無かったといえる。


「優勝出来るチームに日本人が行けないから」という言葉は2010年の雑誌インタビューでの鈴木亜久里の言葉だ。


日本人初優勝が実現するには、上記にあげたようなチームに安定して所属できるようになる必要があるのかもしれない。

 

◆実は日本人と何度も接点を持っていたルノー。そして今後の可能性


さて、そんな「優勝出来るチーム」へ所属するチャンスが日本人にあったかどうかというと、実は6人の初優勝者を輩出したルノーと実は何度も接点を持っていた。


鈴木亜久里片山右京はオファーを受けていたし、佐藤琢磨小林可夢偉は契約交渉をしていたと公にしている。


他にも何人かの日本人がオファーやテスト走行、リザーブドライバー契約を結んでおり初優勝者を輩出した他のチームに対して群を抜いている。


詳細については以前にも「日本人とベネトン」としてまとめているので、合わせて読んで頂ければ。

ksk-kagami.hatenablog.com


そんなチャンスを活かすことのできなかったこれまでだが、角田裕毅にこれからを期待してしまう。


2023年もアルファタウリに所属することが決定しているが、その後によって可能性が変わってくるだろう。


理想はレッドブルに昇格するか、フェラーリなど優勝出来る有力チームに認められて移籍する。これが出来れば日本人初優勝は大きく現実的なものになるだろう。

 

日本人F1ドライバーの使用ナンバーまとめ

何か月ぶりのお久しぶりで。

 

さて今回は「日本人F1ドライバーの使用ナンバー」について調べた。

(以下敬称略となります)

 

現在ではパーソナルナンバー制となっているが、日本人が参戦している期間でチームごとの固定ナンバーやランキングに応じたナンバーの時代があったので意外にも多くのナンバーを使用している。

 

 

◆まずはこれまでの使用ナンバー一覧

 

早速ですが、1976年の鮒子田寛のマキF1での挑戦から、今年の角田裕毅の参戦までに日本人が使用したナンバーをまとめてみたのが以下となる。

 

 

今回はグランプリの公式セッションに参加したものを抜粋(予備予選やフリー走行~決勝)したため、公式テストやヤングドライバーテストは含めていない。

 

◆日本人F1ドライバーが最も使用しているナンバーとは?

 

過去日本人F1ドライバーが最も使用しているナンバーは「10」で計4人。

 

これは鈴木亜久里がフットワーク時代に、井上隆智穂アロウズ時代に、佐藤琢磨がジョーダンとBAR時代に、小林可夢偉トヨタケータハム時代に使用したものだ。

 

偶然か、日本人で表彰台登壇経験のある3名全員がこのナンバーを使用している、少し縁起のいいナンバー、…と言いたいところだが。

 

現実には亜久里はチーム体制に恵まれない時期を味わい、可夢偉は弱小ケータハムでチームに振り回され、隆智穂はオフィシャルカーやセーフティーカーに追突されるなど散々な面も持ち合わせている。

 

◆角田の使用している「22」

 

さて、2022年に唯一F1に参戦しているドライバーである角田祐毅のナンバー「22」はというと、次点の3人が使用した。

 

角田のほかには中野信治ミナルディ在籍時)と佐藤琢磨スーパーアグリ在籍時)に使用したナンバーだ。

 

こちらも何の偶然かSRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール。現、ホンダレーシングスクール鈴鹿)の出身または講師でF1フル参戦経験を持つドライバーの3人が固まっている。

 

ちなみに、当初角田が使用したかった「11」は、中嶋悟がF1デビュー時にロータスで使用したナンバーでもあった。

 

◆最小値は「2」、最大値は「52」

 

さて、日本人がF1で使用したナンバーは全部で29あるのだが、その最小値と最大値は何だろうか。

 

最小値は88年にロータス在籍時に中嶋悟が使用した「2」である。

 

これは、87年にチャンピオンを獲得したネルソン・ピケがチームに加入しチャンピオンナンバー「1」をロータスに持ち込んだ為、チームメイトの中嶋悟も連番となる「2」を使用した為だ。

 

最大値はF1インジャパンで星野一義が使用した「52」である。

 

このレースではスポット参戦の日本系チームに50番台のナンバーが割り振られ、長谷見昌弘は同年に「51」を使用しており、「54」はマキF1が使用した。

 

◆さいごに

こうやって一覧にしてみると見えてくるものがあるかと。

 

中嶋一貴は他の日本人F1ドライバーとあまり被らないナンバーを使っているとか。

 

また何か思いついたら何か書くと思いますので何卒何卒。

 

F1代打列伝(2005-2021)

うんか月振りのお久しぶりです。

今回は「F1代打列伝」というかつてのF1速報の誌上にあったものを下敷きに、書いてみた感じです。

 

新型コロナウイルスの影響で代役ドライバーの出番が増えたように感じるが、そんな「代打」ドライバーの歴史を少し追ってみよう。


今回は以前F1速報2005年サンマリノGP号で取り上げられた「代打列伝」以降
つまり2005年~2021年までの代打の記録とおおよその背景などを見ていこう。


◆代打の定義


その前に、F1における「代打」の定義とは

前述の「代打列伝」では広義の代打、つまり


・代わりに出場し、正ドライバーが戻ったら引っ込む
・代打がそのまま守備位置につく

など、シーズン中に何かしらの理由でドライバー交代のあったもの全てを指すことにしている。


◆2005年以降年4人以上の起用は7シーズン


同誌面で、一覧表として掲載があるのは
「シーズン起用ドライバー4名以上のチーム」であるので


まずはそれに従って表を作成する。

 

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すると、該当は7シーズンとなる。


内訳を見ると、やはりというか中堅~下位チームが占めているが


05年のモントーヤ負傷に伴う代打劇や、09年マッサ負傷に伴う代打劇のように
当初予定していた代打が起用できないまたは活躍が見込めないことによりさらに代打を起用するという形で上位チームも4人起用することになったパターンもある。


契約問題関連で言えばやはりスパイカーやHRT、ケータハムといったところだろう。


面白い点を挙げれば、山本左近については参戦したチーム全てがこの代打参戦に該当し、しかも「4名以上起用」チームである点だ。


◆代打起用無しのシーズンは2005年以降では2シーズン


次に、幅を広げ「年3人以上起用」、つまり当初のエントリー以外が起用された場合の表。

 

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代打起用の無いシーズンは08年と18年の2シーズンのみで、それ以外は何かしらの代打起用が発生している。


代打発生率の多いチームを見てみると、6シーズンで3人以上起用したザウバーBMWザウバーアルファロメオ含む)が最多である。


次点でトロ・ロッソマクラーレンルノーロータス含む)。


マクラーレンルノーは負傷欠場や出場停止に伴う代走が主だが、トロ・ロッソの場合は兄弟チームたるレッドブルの意向が大きく、レッドブルとのドライバー交代が主な理由だ。


◆代走で光ったドライバーは?


2005-2021年の代走で光ったドライバーはいたのだろうか?


過去を遡れば、ミハエル・シューマッハーの負傷によりフェラーリで99年に代走したサロが2度表彰台(実質優勝だが、チームメイトのタイトル争いをサポートするために勝利を譲った)、
90年にナニーニの負傷で日本GP代走、2位を獲たモレノが有名だが。


モントーヤの代走で06年ハンガリー2位のデ・ラ・ロサや05年サンマリノ3位のヴルツが目に見える結果としては最たるものだろう。


近年では20年サヒールでハミルトンの代走としてチャンピオンチーム・メルセデスをドライブしたラッセルがで予選2位、首位走行、ファステストを記録(チームのミスで結果は9位)や
同年に3戦代走したヒュルケンベルグが70周年GPで予選3位(決勝7位)というものがある。


面白いものでは07年ヨーロッパでヴィンケルホックがフォーメーションラップ中降り出した雨にチームがすぐさま反応し、ピットにいれレインタイヤに変えたことにより
その後の豪雨に順応することが出来、テールエンダーのスパイカーがラップリーダーを達成するというミラクルも起こしている。


◆終わりに


さて、このテーマを取り上げた理由はコロナ禍における代打の増加と書いたがもう一つ。


ロシアの動きからシートに何かしら動きがある可能性を考えて、思いついた企画でもある。
もしかしたら、マゼピンが途中で降ろされるor一時出走できなくなる…となった場合、ということで振返ってみた次第である。


ともあれ、無事開幕し新たな歴史が刻まれればいいな、と思うのでした。