SSCC -Super Silhouette Car Championship-

SSCC-スーパーシルエットカー選手権-についてまとめてみよう

 

 ◆概要 国産にこだわった新たなツーリングカー規格

 

 スーパーシルエットカー選手権“SSCC”は、1998年に日本ツーリングカー選手権協会(TCCA)が発表した、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)の後継カテゴリーである。1999年6月より開催することを目標としていた。

 開催の背景としてJTCC時代にメーカー間の開発競争が激化し、開発資金が高騰。結果、最終年にはトヨタワンメイクになってしまった反省を活かし、低コストで参戦できるカテゴリーとして、メーカーの力に頼らないカテゴリーとして開催することを狙いとしていた。

 1998年の11月にはプロトタイプによるデモ走行や記者発表を行い、カレンダーも発表。都内でプロトタイプの展示等プロモーションも行っていたがエントラントが集まらず、1999年4月に開催の延期を発表。その後開催が実現することはなかった。

 

歴史

◆1997~98年前半 水面下 ―T3000計画―

 

 事の発端は1996年頃。JTCCが開催できなくなることを想定し、運営を行っていたTCCAが「新ツーリングカー車両検討作業部会(座長:本田博俊氏)」と「新車両検討専門部会(座長:大岩 湛矣氏)」を設立。次世代のレースイベントを模索する動きをとっていた。

翌97年、JTCCでは日産・ホンダが98年に参戦をしないことが決まり、新カテゴリーの計画が本格化する。TCCAは99年より新カテゴリー(当初の仮称はT3000)導入を計画することになった。1998年の6月の段階では99年をT3000の熟成期間とし、JTCCと併催。トヨタはJTCC継続の為に15~6台まで台数を増やす用意があることを表明し、JTCCに9台の99年型モデルの投入を計画。主催者側も台数の増加を条件に99年のJTCC開催を了承していた。

 

◆1998年後半 急展開 ―開催発表からデモラン―

 

 しかし、8月になっても99年型モデルを走らせるエントラントが現れず、トヨタは99年型モデルの投入を4台とする計画に変更。すると主催者側は台数が98年と変わらなければ開催できないと反発した。トヨタとしても継続を進めたいが資金面の問題もあり、最終的に99年型モデルの投入自体が消滅し、JTCCの99年以降の開催がほぼ不可能となることが決まった。

 当初99年を熟成期間として開催予定だったT3000車両のカテゴリーは急遽メインのカテゴリーとして99年開催することになった。この際、方向性が定まっていなかったがT3000規定カテゴリーとしてSSCCにも全日本タイトルをかけられるように済ませていたので全日本格式のイベントとして単独開催は可能となっていたが、車両開発が遅れていた。

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 プロトタイプの製作自体はボディー製作を担当した株式会社ファーストモールディング曰くゴールデンウィークに打診があり、正式な発注があったのはお盆の頃だったという。

 その後、プロトタイプは1998年11月8日に行われるデモランに合わせて完成し、その年のJTCC王者、関谷正徳によって富士スピードウェイを走行した。その際、関谷は「マシン開発はこれからだね」と発言したとされている。また、この走行を見ていた土屋圭一が興味を示していたとも言われている。

 

 デモランの10日後である11月18日、プロトタイプは東京・青山に移り、TEPIA第11回展示「ものづくり展~21世紀を支える日本のハイテク」後期記者発表会と併催する形でSSCCの記者発表会が行われた。

 

 

◆1999年 未開催 ―集まらなかったエントラント―

 

 無事デモランを済ませ、都内での記者発表も行い車両展示も続けていたが、その後も静観するエントラントが多く、結果的にはエントラントは集まらなかった。6月の開催があと2か月に迫った1999年4月1日にオーガナイザー会議が開かれ、SSCCのカレンダー取り下げが決定した。

 インタビューでは「1年目は5台、2年目なんとか9台。それで3年目は15台。それくらいのペースで」という具体的な目標をあげていたが、それも叶わなかった。

 

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 エントラントが集まらなかった背景には様々なことが考えられるが

・当初想定していた車両価格よりも大幅に高くなってしまったこと

JGTC(現スーパーGT)やスーパー耐久などのその他の市販車改造カテゴリーが複数存在していたこと

・メーカーの直接関与を規制したこと

・平成不況の最中だったこと

また、当初から「本当に開催できるのだろうか?」という声が上がっており不信感もあったのではないだろうか。

 

◆開催計画

 

 1999年6月19日にツインリンクもてぎオーバルコースで開幕し、10月31日にスポーツランドSUGOまで全6戦で行われる予定だった。 

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  またレースの詳細としては

  • 予選は5週の積算タイムで争う
  • レースによって1ヒート、2ヒートを使い分ける
  • 2ヒートの場合はリバースグリッドを適用する
  • 90km×2、または200~500kmの耐久

などが考案されていた。

 

◆車両規格

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 アメリカのNASCARのようなパイプフレームにFRP製カウルという手法が取られている。

 プロトタイプはエンジン供給を表明していたトヨタハリアーに使用されているものを搭載。意匠についても同様にトヨタ・チェイサーをベースにしている。タイヤについてはミシュランのポルシェGT2用のリアタイヤが使われていた。

 日本オリジナルカテゴリーということで、部品に関しても日本製のものにこだわっていた。また低コストを理念としていたため、ミッションやデフは指定部品のみ。ターボなど一部の部品も幾つかの認定部品から選ぶかたちをとる予定だった。

 金額についてはキットとして2000万円前後。エンジン付き組み立て済みで2000万円を切るようにする計画だった。

 当時の車両イメージには3台のイラストが描かれ、チェイサーのほかにアコードやセドリックにもみえる車が描かれていた。

 

このチェイサーは99年のTEPIAでの常設展示の後、富士スピードウェイ付近のガレージ(株式会社エム・ワイ・ジー)に保管されていたが、2014年に高知県立高知高等技術学校に寄贈されている。

 

また、レースゲーム「グランツーリスモ2」でチェイサーTRDにレースカラーを施せる「レーシングモディファイ」という機能を使うと、SSCCプロトタイプのカラーリングにすることもできる。

 

 

◆最後に…

 

 今回、TwitterのSSCCデモラン映像の投稿を見て、以前より気になっていたので文献もしっかり手に入れたうえでSSCCについてまとめてみました。

 

98~99年のたった2年間、しかも実際に開催もされず、車両もプロトタイプが1台だけということもありWeb上での情報もとにかく少なく、いないかもしれませんが今後「SSCCってなんだ?」と検索した人が少しでもこんなカテゴリーがあったのか!とわかりやすいように散らばっていた文献の情報を歴史、規格などをまとめてみたつもりです。もちろん当事者でも関係者でもないので当時のことはわかりませんが……。

 専門誌を遡って分かったのは、開催前ということもあったでしょうが思ったより取り扱い方が小さく感じたということでしょうか。なにせJGTCもすでに人気カテゴリーとなっていた時期ですので、1メーカーしか興味を示していないカテゴリーに注目する必要もあまりなかったかもしれないですね。

 

◆参考文献/参考サイト

AUTO SPORT NO.760 1998年11月15日号 

AUTO SPORT NO.766 1999年3月1日号

AUTO SPORT NO.771 1999年5月15日号

Racing on No.277

Racing on No.279

Racing on No.280

Racing on No.282

Racing on No.283

Racing on No.292

Racing on No.416

 

高知県ホームページ

https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/151304/racingcar.html