【Super GT】外車達のGT500① -概略-

 Super GTのGT500クラスといえば、今や国産メーカーであるトヨタ、ホンダ、日産による覇権争いとなっていますが、今から10年前まではプライベーターが市販のレース車輌や独自開発の車両で同じクラスを戦っていました。

 

 GTの歴史においてこれは特別なことではなく、前身であるJGTC当初からプライベーターにもトップカテゴリーで戦う機会は与えられていましたが、3メーカーの開発競争の激化にプライベーターはついていくことができず、次第に戦いの場をGT300クラスへと移していきました。

 

 さて、今回はJGTCSuper GTにかけて戦った「3メーカー以外」のGT500マシンやチームについてザックリと書いてみました。

 

 いずれは深堀した内容を投稿しようと思いますが、まずは簡単な概略ということで。

◆ポルシェ(94~98年:PP3回/優勝5回)

まだGT500クラスがGT1クラスと呼ばれていた頃、ポルシェはカテゴリーの最大勢力の一つだった。

94年は日産に次ぐ5台が参戦。95年には9台が参戦を果たした。メーカー開発競争が激化する前、メーカーと対等に戦うことが出来る戦力を得ることが出来た。

創成期のGT1でタイトルを獲ったチームタイサンや後にホンダ陣営入りするチーム国光が94、95年に5勝を収め、その中には現コンドーレーシング監督の近藤真彦がドライブしたグループCベースの962Cによる勝利も含まれる。

96年以降、上位争いからは脱落するも98年まで参戦が続いた。

 

マクラーレン(96年、99〜03年、05年:PP8回/優勝5回)

チーム郷が96年にマクラーレン・F1 GTRを2台体制で投入。圧倒的な強さでスカイラインスープラ等国内勢を蹴散らし6度のポールと4勝を挙げ、チーム・ドライバーズの2冠を達成。

99年にはそれまでポルシェで参戦していたチームテイクワンが、翌年には一ツ山レーシングが欧州から払い下げられた第2世代F1 GTRで参戦を開始。

 

すでに3メーカーの開発競争が激化している中、時に上位争いに進出し01年最終戦にテイクワンがポールトゥウイン、02年に一ツ山が1度のPPを獲得している。

なお、3メーカー以外のPP・優勝の記録はこのマクラーレンによるものが最後である。

 

フェラーリ(94~96年、04~05年:PP2回/優勝1回)

Team TAISANは94年〜96年までF40を投入。初年度にPP1回/優勝1回、95年にもPP1回獲得する等速さを見せていた。

その後、一ツ山レーシングが04年から550マラネロを使用し参戦した。550マラネロの最高成績は決勝12位。

 

ランボルギーニ(JLOC:94〜05年:決勝最高位8位)

JGTC創設当初から参戦を続けているJLOCは、当初最高峰クラスに参戦していた。

94年はカウンタック、95年からはディアブロ、2005年にはムルシエラゴで戦った。98年には2台体制で参戦するも3メーカーの壁は高かった。05年シーズン中にGT300にスイッチすると、翌年開幕戦で優勝。戦闘力を発揮した。

 

クライスラー(TAISAN:97〜00年)

Team TAISANは97年からクライスラー・バイパーでも参戦をしていた。最終的には00年途中でGT300へとスイッチし、03年まで戦った。

 

◆ヴィ―マック(東京R&D:03〜04年)

日英協同のスポーツカー「ヴィ―マック」は、02年にGT300でデビューするなりパーフェクトウィンを達成すると、翌年にはGT500クラスへ打って出る。

しかし、3メーカーの開発スピードに追いつけず苦戦。04年には最終戦のみ参戦とし、残りを開発期間とした。最終戦では上位進出こそならなかったが完走。

翌年以降は計画を修正しGT300クラスで戦うことになった。

 

アストンマーティン(チームNOVA:09年)

チームNOVAとして一ツ山レーシングがDBR9を投入した。しかし、これはどちらかといえばアジアン・ ル・マン・シリーズ参戦に向けたテストの意味合いが強く、成績は14位が最高だった。

ちなみに、このアストンマーティンDBR9が2020年現在で最後に500クラスに参戦した海外車両である(DTM交流戦は含めず)

 

メルセデスベンツ(HKS:02年)

300クラスで幾度もタイトルを獲得しているメルセデスだが、500クラスにはHKSがオリジナルマシンで参戦した。03年のレギュレーション変更を前に、その内容を取り込み先行参戦したCLKは注目こそ浴びたが、当初はまともに走ることも出来ず、出場できたのは3戦のみで最高位は15位。

 

ランチア(94年)

JGTC初年度に登場した「ラリーカー」ランチア037。元はWRCグループBに参戦していた車両だが、94年の富士にスポット参戦していた。


【幻の参戦車両たち】

参戦計画に終わった車も存在する。有名なところで言えば96年にマクラーレンJGTCを制したチーム郷は、当時FIA GT選手権を戦っていたマセラティMC12で06年に参戦を目指していたが、開発が間に合わすに参戦を取りやめた。

 

また、99年にはMTCIというチームがメルセデスベンツのCLK-LMを購入して参戦すると表明していたが、購入することが出来ず参戦出来ずに終わった。

 

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 とりあえずザックリな内容としては以上です。漏れがあったらすみません。

 

 個人的には、プライベーターVSメーカーという戦いも見たいと思う人間なので、実を言うとDTMとの共通シャーシであるクラス1には期待していたんですけどね。

 

実際、ステディがBMWから500クラス参戦の計画の存在を語っており、他にも同様の計画があったことも海外メディアが噂をしている。

 

今後、クラス1やDTMとの共存がどう進むかはわからない。だが、いつかプライベーターも戦える時代が来ることを夢に見ている。