スズキとニューウェイに繋がりはあったか
前回、スズキのF1計画についてのまとめの内容を書いたのですが、スズキのF1計画について調べているときに少し気になることがありましたので、雑記として書こうと思います。
ちなみに、スズキのF1計画についてのまとめは前回の記事参照
気になる点というのは
・エイドリアン・ニューウェイとスズキF1計画は関与があったのか?
ということです。
というのも、参考書籍に辿り着くまでの過程でネット上を検索していたのですがその中に
「(レイトンハウス在籍時の)ニューウェイがスズキのエンジンを使いたがった」
というのを見つけたのですが。
調べてみた結果。
・ニューウェイがスズキのエンジンを使いたがったという事実はない。というのが私の結論です。
その結果に行きつく事実としては以下をあげておきます。
1.ニューウェイのレイトンハウス在籍期間は90年のシーズン半ば。7月には離脱している。さらに同年の早い段階から事実上の解雇通告をされていたと自伝に記載がある。
2.スズキ(横内氏はじめとする技術部門)のレイトンハウスとの接触は91年1月。エンジンの設計検討に入るのは同年のシーズンの中盤と推測できる文章がある。
3.スズキの最初のエンジン「YR91」の完成は1992年の終わり。
「ニューウェイがスズキのエンジンを使いたがった」という内容はいくらなんでも無理がある。図面さえもひかれていないエンジンを欲しがる人間などいるのだろうか?
ちなみに、スズキがエンジンを完成をさせたのが92年末なので、実戦投入できるのは最速でも93年なのだが、この年にはニューウェイどころかレイトンハウスも、その後のマーチも撤退している。
……本当はわざわざこんなこと書く必要もないのですが、一般人のブログではなく業界の方のブログに記載があったものなので、一応反論と申しますか、書いておこうと思いました。
こちらの参考文献については前回書いたブログの末筆に記載がありますので、宜しければご確認いただければ。
とはいえ、全ての計画がうまくいき
1.ニューウェイがレイトンハウスを離脱せず
2.レイトンハウスとスズキの交渉がうまくいき「レイトンハウス・スズキ」として残り
3.93年にYR91を搭載しF1を戦っていたらどうなっていたでしょうね。
ヤマハエンジン並みに軽く、ホンダエンジン並みのパワーを発揮する予定だったので、かなり面白いことになっていたかもしれませんね。
仮にドライバーラインナップもずっと同じだったら、カペリとグージェルミンがポディウムのてっぺんに立っていた世界線があったのかもしれないと考えるとなかなか面白いです。
一つ謎なのが、スズキがレイトンハウスとの共闘の計画が破綻した91年末以降もエンジンの開発を96年まで続けていたことです。
エンジン開発の為に5億円もする研究室の建設をしたことから後には引けなかったのでしょうか?それともHKSのようにどこかのチームへの売り込みを考えていたのでしょうか?
いつかこのあたりがわかるような文献が出てくれるとうれしいな、と思います。
≪おまけ≫
今回のブログの為に念のためニューウェイの自伝のレイトンハウスF1の項も流し読みしたのですが、レイトンハウスのオーナーだった赤城氏のことを
「韓国人だが日本人だと偽らなければいけないようだった」という認識でいた記述があったのはなんか面白かったです。