【F1】雨のモナコ 12年周期で英雄が誕生する説

本日はセナが亡くなって26年目の命日です。

 

そこでというわけでもないですが、彼が輝くレースを見せた「雨のモナコ」に焦点を当てた内容を書いてみようと思いました。

 

題して「雨のモナコ12年周期の英雄」ジンクス

 

1984年以降、12年周期でモナコでは雨のレースで若手が輝くということが続いています。

 

残念ながら、その12年周期に当たる今年のモナコGPは中止になってしまいましたが、過去のそのジンクスに該当するドライバーを振り返ってみようと思います。

 

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1. 1984年:ルーキーによる幻の優勝と表彰台

アイルトン・セナ(トールマン)

 予選13位→決勝2位

ステファン・ベロフ(ティレル

 予選20位→決勝失格(3位)

 

 

今なおアイルトン・セナの「幻の1勝目」と語り継がれる、豪雨の中行われた1984年のモナコ

 

レースは予選1位のアラン・プロストマクラーレン)と2位ナイジェル・マンセルロータス)による首位争いで進行していく。

 

豪雨に足をすくわれリタイアする車が続出する中、一時は首位に立ったマンセルもスピンを喫しリタイアしてしまう。

 

そんな中、中堅クラスのチームであるトールマンが雨を切り裂くようにトップのプロストに近づいていた。

 

その年F1デビューしたばかりのセナだった。

 

しかしレースは32周目に赤旗が振られ、その前の周で結果が出ることとなった。セナは32周目にプロストオーバーテイクし、勝者となるはずだった。

 

 

このレースではもう一人、予選最後尾から不気味に追い上げる黒い車を駆る男がいた。

 

それが、ステファン・ベロフという若きドイツ人だった。

 

その年数少ないNAエンジンを搭載する非力なティレルは、30周の間にセナの駆る真っ白なトールマンの後ろまで追いついていたのだった。

 

しかし悲しいかな、そのリザルトは正式には「失格」となってしまった。チームのレギュレーション違反によるものだった。

 

そんな彼はその後もF1、そしてすでに活躍をみせていたスポーツカー耐久レースで速さを見せると思われていたが、この翌年の世界耐久選手権で事故死してしまう。

 

 

2. 1996年:フランス人がフランスチームでモナコを初制覇

オリビエ・パニス(リジェ)

 予選14位→決勝1位

 

94年にフランスの名門チームであるリジェからデビューしたパニスは、95年までにすでに2度の表彰台を獲る実力を持っていたが、チームの実力なのか優勝を争える場所には届かなかった。

 

そんな中96年のモナコを迎える。

 

開幕以降シングルフィニッシュを3回達成しているものの、入賞は6位一回。予選も奮わず14位だった。

 

しかし、スタート前の雨が乾かぬモンテカルロは1周目から荒れた様相を見せる。

 

フェルスタッペン、シューマッハバリチェロフィジケラ、ラミーが立て続けに消えると、その後もリタイアが続出。

 

パニスは後方スタートだったことから燃料を多く積み、ピット時間を短くする戦略をとって4位までポジションを上げていた。

 

アーバインを追い抜き、前を走るヒルエンジンブロー、アレジはサスペンショントラブルでストップし、42周目についに首位に浮上する。

 

その後レースは2時間ルールの適用で75周で終了。パニスは勝利した。

 

このレースは当時リジェのエンジンサプライヤーであった無限ホンダにとって初勝利であり、リジェとしても1981年以来の勝利であった。

 

そのパニスは翌年、プロスト・グランプリと改称されたチームで序盤戦を選手権争いに絡む活躍をみせたものの、第7戦カナダでクラッシュ。両足を骨折し、シーズンを棒に振ってしまう。

 

その後は戦闘力のある車に恵まれず、2004年のトヨタを最後にレギュラーシートから退いた。

 

3. 2008年:雨のモナコに見た、チーム初入賞の夢

エイドリアン・スーティル(フォースインディア)

 予選19位→決勝リタイア(一時4位走行)

 

2007年にスパイカーからデビューしたスーティルは、雨の日本GPで自身初、チームにとって唯一の入賞を果たすと、翌年フォースインディアと改称したチームに引き続き残留した。

 

昨年型がベースとなる車は速さを発揮できず、シーズンを通してテールエンダーであったが、モナコでは思わぬ好走を見せる。

 

雨が降りしきるモンテカルロ。2度のセーフティーカーが出たときに4位にいたのはスーティルだった。チーム初の入賞、もしかすると表彰台も……。なんて希望は、タイトル争いをしながらもこのレースで波に乗れないライコネンにより砕かれた。

 

リスタート直後、トンネルの出口で追突されそのチャンスは不意に終わりを告げた。

 

……といっても、実は黄旗無視でペナルティが下る予定だったので入賞は難しかったというオチもあるが。

 

さて、実はこのレースにはスーティルと同じく2年目でひっそり活躍したドライバーがいたのだ。

 

セバスチャン・ベッテルトロロッソ

 予選18位→決勝5位

 

2007年にスポット参戦で最年少出走&最年少入賞を達成したドイツ人は、この雨のモナコで後方スタートから見事な追い上げを見せ入賞を果たしていた。

 

この頃のベッテルは雨のレースで特に光る走りを見せ(2007年日本GPはのちのチームメイトであるウェバーに追突したが、それまでは3位)

 

自身2度目の入賞は雨の中国で4位、3度目の入賞がこの予選18位から5位入賞のモナコだった。

 

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さて、一通り列挙してみましたが少し無理のあるジンクスでもあるかなぁとも思います。

 

ですが何かとこじつけて見たくなってしまうもので。

 

また何かジンクス的なものに気が付いたら書いてみたいなぁと思います。