個人的な佐藤琢磨選手の印象に残っているレース
先日、雑誌Racing onの最新号で「特集 佐藤琢磨」が組まれました。
F1を見始めたきっかけがまさに彼だった自分はもちろん、予約購入をさせて頂いたわけですが。
そんな琢磨選手にはいくつも印象的なレースがありますが。
結果を出したレースで言えば、02年、03年の日本GP、04年のヨーロッパGPやアメリカGP、07年のスペインGPやカナダGP
忘れちゃいけないインディ500初制覇もそうですね。
ですが、私にとっては結果こそ出なかったものの
「佐藤琢磨ってすごい!」と実感し、頭に残っているレースが2つあるので
稚拙な文章ではありますが紹介。
※以下、敬称略での記載とさせて頂きます。
- 2004年モナコグランプリ
チーム:B・A・Rホンダ
予選:8位(7位スタート)
決勝:リタイア
その年の琢磨の愛機「B・A・R 006」はその年圧倒的な強さを誇ったフェラーリに次いで速さを持った車で、チームメイトのジェンソン・バトンはPP、表彰台を何度も獲得し、琢磨もモナコまでに2度の入賞を果たしていた。
モナコでは予選8位となり、3度目の入賞も手の届く位置にあった。
そしてそのモナコのスタートが衝撃的だった。
まさに「稲妻のような」ロケットスタートで、前列にいたバリチェロ、ライコネン、そして、4位スタートのミハエル・シューマッハの右前輪をかすめながらぶち抜くと1コーナーまでに4位に浮上してみせる。
当時、F1を見始めて間もない自分にとってそれはとても衝撃的な映像だった。
モナコで4位を走行する日本人ドライバー。それだけで期待に胸が高鳴った。
だが、それも翌周には不安に変わる。
車の後ろから、うっすらと白い煙が見え始めているような…、と思った矢先にはタバココーナーで盛大な白煙を吐きだし、琢磨は車を止めることになった。
結果こそ「たった2周でリタイア」だが、あの時のスタートは佐藤琢磨が世界に通用するレーサーであるということを示すのに充分だったと私は思う。
- 2006年マレーシアグランプリ
チーム:スーパーアグリホンダ
予選:22位(17位スタート)
決勝:14位
05年末にB・A・Rのシートを失った佐藤琢磨が新天地として選んだのは純日本の新興チーム「スーパーアグリ」だった。元F1ドライバーの鈴木亜久里と共に1からチームを作ることになった。
だがそれは苦難の連続だった。当初、05年型 B・A・Rを基に車を作ることを目論んだが断念。最終的に4年前にF1に参戦していたアロウズA23というシャシーを確保・改良し戦うことを余儀なくされた。
ただ、4年前のものとなれば様々なものが06年の為に作られた他チームの車とは劣っており、またチーム自体も参戦決定から僅かな時間しかなく、様々な準備をする時間がとにかく少なかった。
それでも車を開幕戦に間に合わせ、4度のピットインをしながらも琢磨はスーパーアグリ初のレースを完走させた。
そんな状況を乗り越えて迎えた第2戦マレーシア。
現状の車ではひたすらに完走を目指す状況で、琢磨は「レースをすること」を忘れなかった。
他車のグリット降格ペナルティもあり17番手からスタートすると、まだ2秒近く差があるものの直近のライバルであるトロロッソをドライブするリウッツィの前に出る。だがすぐに抜き返された。しかし、琢磨はバックストレートでリウッツィの背後にピタリとつけ、最終コーナーのインに車をねじ込んだ!
2秒近く速い車を佐藤琢磨が自力で追い抜いて見せたのだ
もちろんその後は再び逆転され、完走した中では最下位でレースを終えた。
格上の車相手に勝負を仕掛け、たとえ一時でも前に出たときの感動を今でも忘れない。当時のフジテレビの実況「これぞ大和魂!」の叫びとオーバーテイクの瞬間が焼き付いている。
以上の2つのレースが、たぶんRacing onに乗ってないかもしれないだろうけど個人的に印象に残っているレース。
今もアメリカで活躍している佐藤琢磨選手には、これからもこれらの心を熱くするようなレースを見せてほしいと(そしてインディーカーシリーズのチャンピオン獲得も)思う。